2020年07月20日
日本昔話(仮題)
佐世保玉屋の客待ちタクシー待場の自販機があった側に引き上げられた『天回(本物)』が置いてあった。 四ヶ町アーケードにしか屋根がなく(しかも開閉しない古い方)三ヶ町は雨ざらしだった時代のこと。
周南市の回天記念館はきちっと観光スポットとして整備されているいるようだが、現:西海市側(西彼杵郡川棚町)に人間魚雷(回天)の試験場があった。 テレビ山口では『日本に唯一』と言ってたから唯一ではない⇒2019/06/23のブログに写真付きで記事を書いている。
梅雨明けはまだかな~ロケハンしてたら偶然見つけた、阿多田交流館前に展示してある回天。



後ろからの絵がカッコいい。

天を回らし戦いを好転せしめる・・・玉屋のそれは暫くして撤去された、恐らく戦争でアタマがバカになり『ウゥ~』 と叫びながらアーケードの中をジグザグに走り回るおじさんが居た。 リンゴ箱の上に立ち日本軍の格好をして飯盒に小銭を乞う人達、銭湯ではズボンを脱ぎ始めたら片足は義足、両足とも義足で床の扉が硬く開けるのを手伝った事もあった。
自分が高校2年の時定年される際のクラブ無線部顧問は内容は一切語らなかったが戦争は悲惨だというのが口癖だった。
「ウゥ~」の叫び声は多分空襲警報だったんだろう。 中学になる前迄は夜(9時?)にサイレンが鳴った。
家が相生市場から島瀬に旧:親和銀行本店の立派な石造りの建物ができる前から、協済病院7病棟の裏手に見張り台があったが、気づかぬうちに無くなってた。 まだ島ノ瀬公園に音楽堂がある時代だ。
つづく
周南市の回天記念館はきちっと観光スポットとして整備されているいるようだが、現:西海市側(西彼杵郡川棚町)に人間魚雷(回天)の試験場があった。 テレビ山口では『日本に唯一』と言ってたから唯一ではない⇒2019/06/23のブログに写真付きで記事を書いている。
梅雨明けはまだかな~ロケハンしてたら偶然見つけた、阿多田交流館前に展示してある回天。
後ろからの絵がカッコいい。
天を回らし戦いを好転せしめる・・・玉屋のそれは暫くして撤去された、恐らく戦争でアタマがバカになり『ウゥ~』 と叫びながらアーケードの中をジグザグに走り回るおじさんが居た。 リンゴ箱の上に立ち日本軍の格好をして飯盒に小銭を乞う人達、銭湯ではズボンを脱ぎ始めたら片足は義足、両足とも義足で床の扉が硬く開けるのを手伝った事もあった。
自分が高校2年の時定年される際のクラブ無線部顧問は内容は一切語らなかったが戦争は悲惨だというのが口癖だった。
「ウゥ~」の叫び声は多分空襲警報だったんだろう。 中学になる前迄は夜(9時?)にサイレンが鳴った。
家が相生市場から島瀬に旧:親和銀行本店の立派な石造りの建物ができる前から、協済病院7病棟の裏手に見張り台があったが、気づかぬうちに無くなってた。 まだ島ノ瀬公園に音楽堂がある時代だ。
つづく
Posted by JCC4202/佐世保 at 23:30│Comments(0)
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