辛目の評価
HARRISのビデオ鯖&自動送出システムのトレーニングとインターBEE
見学のため2年ぶりに仕事で都会に行ってきた。 (1つ前の記事「アイボール」参照)
昔乗ってたNSR250R※1に標準装備だったミシュランというタイヤメーカーの「食堂ガイド本」が流行り、自分の舌で味が判らない即席グルメ(?)の人達がそのガイド本に紹介された店に行列を作る。
田舎モンには100%理解できない。
2004年に長期出張した時、そこの東京営業所の人に餃子店を調べて貰い、片っ端からハシゴして食べ歩いた。 毎日餃子でも生きて行けるってくらい餃子が好きからだ。 (現実問題としてそうなったら、三日で飽きると思うけど)
1番旨かったのは、町田の閑静な住宅街の(当時)真っ暗な路地を、こんな宅地に店なんかあるのかと不安になりながら探しあてた。戸建住宅の庭にテント小屋みたいな店(?)だった。
今回再度そこに案内してもらったら、立派な店構えになっていた。
路地にはちゃんと外灯が点き、小さいけど看板もできていた。
繁盛しているらしく餃子のコース?とやらがあり、3000円もした。
大衆料理としては高価だけど、ブログネタだと思い食った。
価格は具材がフカヒレとかそういう○×ガイドが好む領域だからだろう。
キリンのギョウザ、リンガーハットのぎょうざ、大ジャス1階、
食品売り場奥のジャンボ餃子,どれもいける。
マズイのは…バー○ヤンのだ、佐○保駅裏の店だ。 出来たばかりの頃、食べに行って家族全員下痢になった。 マズイと言うより具が相当古いのだ。 捨てる筈の残りを出したとしか思えない。
ちゅうボーの頃、ウチのラーメン屋で新メニューの餃子を出すってんで、ありとあらゆる具材でアンコを作り、常温・冷蔵・冷凍の保存方法で味の落ち具合を確かめ、イヤと言うほど試食させられ、家族総出で餃子の早握り競争をしたから、バー○ヤンの「具が古い」(古かった)は断言できる。
※1)当時、早いバイク=2ストだった。
高校生の頃憧れていたRZ250は松浦町交差点(神吉の所)でぶっコケてるのを何台も見たので、それより速いバイクに乗りたかった。
就職したら…職を間違え新人研修直後にも関わらず、ひと月の残業が200時間を超えるような会社だったため(金使う時間が無く)次の年にスズキから発売されたばかりのRG250Γをキャッシュで買って戸塚から湘南や箱根に気分転換に出かけた。
Γ(ガンマ)は低速トルクの無いピーキーな設定で、高速飛ばすとミラーがちぎれんばかりにブニャブニャに振動して役目を果たさずパトに追われる。 速いので捕まらないがナンバーは知れ渡っていた(多分)。
足が付く前に買い替えたのがNSR250R(1987初期型)。 どこかにも書いたが、「リッター換算180馬力」 が売り文句の250ccで45馬力,後にも先にもこれよりハイパワーな市販車はない。 NSRはしかもオンナでも乗れるようなモーター制御の可変バルブ機構が付いていて(対抗馬のTZR等も)低速トルクが十二分にあり、出足でクラッチミスってエンストなんて恥をかかない。
NSRは可変バルブのコンピュ-タがハングアップしてバルブが開放で固着するバグを除けば無敵だった。 ガンマで慣れてるからそれでもカッキ~ンといきなりMAXで気持ち良く風を裂いて次の赤玉まですっ飛んだ。
速度計が180km/hまでで、数字はふってないが目盛りは190まで刻んであった。
その先の210km/hであろう付近にストッパーが付いてて、針がそれ以降は振れない機械的構造。
6速でフルスロットルにするとメーターの針がストッパーまで張り付く! 長崎道下りで180巡航運転してたら、前方の案内看板が車のパッシングで反射し、ミラーを見たら遥か遠方に赤色回転灯が見えた。 川登SAを過ぎたら料金所だから、トンネルを出た所でバイクを降りて待って、お縄を頂戴した。 逃げなかったのでパトの速度計は、免停ギリギリの104キロで止めてあった。
スクーター全盛になって寂しい限りではあるが、親になってこんな自殺バイクがなくなって良かったと感じる。
関連記事