テクノソフトが福石町に移転した時は事務所奥の棚の上に置いたスピーカーの中に隠してあった。
そのあと勝海町に新社屋を建てが同じ時期にわたしは転職したので行方は知らない。
多分社長の死後松岡氏が遺産財産を引き継いで、主が居なくなった7階の社長室にそのままあると思う。
生前から御存知の方も居るだろう⇒ テクノの社長=JA6MKMさん。
同時期生きたにJA6MCH局の自作品とアルミケースの使い方が酷似している。
違いは基板をケースの中に入れてるか外に入れてるかの点。
故JA6MKM局と故JA6MCH局
JA6MKM局に負けず劣らすJA6MCH局は西大久保町の変電所で6600Vをステップダウンしてプレート電圧3300Vの真空管式A1送信機を作り実験したツワモノ。
実物は『鈴蘭堂』のアルミシャーシが使われていた。
新品の時は1㎝マスの紙で包装され、加工時にシャーシパンチやハンドにブラで傷が着かないよう配慮されていた。
画像も写真も無いのでわたしの記憶にしかないが、当のFMステレオ送信機はシャーシの中ではなくシャーシの外(上)に数枚に分けた自作基板に状態でスペーサーで取り着けられていた。
記憶では1ヶ月も経たないうちに 『海賊放送局あらわる』 と新聞に出て電管が調査に乗り出した。
当時JのJA6MKM局の自宅は赤崎町の山の上で佐世保市内は元より市役所~春日町、大野・瀬戸越まで届き、市立高校から県立長崎県立高校に変わろうとしていた佐世保西高でも噂になったらしい。
送信開始から数日後本人から電話があり口止めされた。
本人死んでるし、電波は目に見えないし、一瞬で過ぎ留められない。
我が家の電気自動車もリモコンキーキーでドアノブはあるけど鍵穴はない。
矢岳町の前田無線の店長も四ヶ町のパーキングに駐車してたがその時間帯は影響はなかった。
三ヶ町~四ヶ町、五番街の範囲で強力電波が発せられ『抑圧』でリモコンキー不動作が起きた。
パーソナル無線(800Mhz~900Mhz)のファイナル素子を4枚でパワー合成して100ワットのパーソナル無線用ブースターなんてのを作った名切町のオヤジ(生きてたら)尼崎電気のCB機改造屋さんもう生きてても80才・90才超の爺さんですよ。
市役所裏の「富士通テン」やら「佐世保JRC」の人。 皆ハムの知人ばかり。