東高つながり(坂道のアポロン)

JCC4202/佐世保

2013年08月15日 15:38

この話題を書き出すと、自分の生い立ちから全部が含まれるから、いちいち書くこと自体がある意味無意味だ。 坂道のアポロンの原作者も知らない事もあるだろう。まあブログも随分放置してたので久しぶりに更新すっか。

このアニメがテレビで放映される前の年、四ヶ町のくっけんで古い写真展をやっていたが坂道のアポロンに関係するような写真はなかった。
さらに市立図書館で登録カードまで作って市の歴史資料室で尋ねたが、寄贈されたアルバムにモノクロの写真が数枚あった。恐らく 「アポロン」 の作者が辿ったであろう写真を見つけた。
この1枚がそれ(図書館で見せて貰える)

デジカメとインターネットで急速に映像が普及した感があるが以前は卒業アルバムでもない限り、1つ前の記事のモノクロ写真ように「お手軽に」写真(映像)は手に入らなかった。
はちょろっと車出して高校の校門まで行き写真を撮り30分でブログにアップできる。




    ただし過去の写真は良くも悪しくも変えられない,変わらない。



第1話の後半で、クラスメイトがレコード屋である事を知った時のシーンにある島ノ瀬公園には音楽堂(多分それとは気づかれずに)描かれている。 これが島ノ瀬公園にあった音楽堂が写ったカラー写真 (1971年)。

しかもカズバ(映画館)・モンセリの右側(MRの高架寄り)に歩道橋があった。 記憶では白邸(漢字正しいかな~)という結婚式場みたいな建物があって、加山雄三さんがご自身のヨットで鹿子前に到着して島ノ瀬公園(の音楽堂)で公演があるというので観客がこの歩道橋に人だかりがでていたと聞いた(1972年;邦題「怒りの荒野」)。


何話か忘れたが東京(銀座?)の絵が出た。ネットで探せばあると思うけど実写でカラーはまず見つからない。写真右上のガスライトが本物、まだ三愛ビルが建つ前(1962年)。

こちらが池田信という方のモノクロ写真(三愛ビル工事中)を元にしたアニメの画像。

ちなみに、こちらが建った後。ずっと三菱の看板だったが経費削減からかスポンサーがVodaphoneやらリコーなどランドマークもカネ次第になっていく。アニメでも銀座四丁目交叉点を中央通り沿いに見たら三愛ビルの手前が紅白のCrown/FMラジオの看板(アニメではBrownとなっている)がある。 同じくらいの年代では?(1967年)。
 

草木原
いつ頃からか知らないが市役所から八幡神社界隈を「草木が原」と言ったそうだ。 八幡神社の大門脇の上り口に同じ名前が付いたラーメン屋があったのを覚えている。
その前に、校舎の写真はないけど類似の写真がある。 惜しいのは写っている方向が逆,見えてる建物は木造校舎。鉄の窓枠があるのは本館。
またアニメでも惜しいのは鉄枠窓。 突風でバタンとならないよう枠の下辺にネジ止具が付いている(写真の方を参照)。

ネジ止具は無線部の部室横(本館2階北階段)にあった。写真は類似のもの、左右の貼り紙の処。



東高の坂を上りあがった道は急に細くなり東に下り始める。バス通学する学生は知らないだろうが高校の真裏に家があったので中央公園は俺のテリトリーだ。


この峠道だけは今でも変わらない。


ここは熊野町、そして北上すると市民会館がある(あった)。 この写真ではまだ存在していない、かろうじて左のアパートと道路の段差が緩やかな下りだと分かり且つ右の土の所が元の花園中学校で、その下に市民会館ができる。
さらに下るとエレナ&ルネサンスができる。このアングルはあちこち探し回ったがマンションが建ってしまいこの画角から見た映像はあり得ない。
 参考:現在の市民会館の通りの写真

アニメでは鹿子前に海水浴に行くとき待ち合わせした場所。










<Kodachrome様>
アナログフィルム長い間お疲れ様。
幼少の頃ウチにはライカ版の二眼レフカメラがあったと記憶する、刷りガラスに投影された被写体がもう片方のレンズを通しフィルムに写る電子回路もデータもなく工学のみでできている一番 『生』 に近いといまだに思う。
つづく

国道35号に出れば谷郷町名切町との堺。 田舎なのに市役所から高砂・天満・谷郷・相生・浜田を中央区と呼んでいた。松浦町から南西にまっすぐに続く通りが三ヶ町と四ヶ町。 アーケードを出た所が戸尾町三浦教会側に『ぽると』のでっかい球状の看板があった。
アニメにもネオンの丸いのも教会もあるけど、記憶違いがなければアニメの時代にはまだ上町の『ぽると』の工場の上にあった物をから戸尾町に移設した。「ぽると」の看板はまさに銀座の球状の『森永キャラメル』のネオン看板は2~3年前に撤去されるまで佐世保のシンボルだった。

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